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◆鹿児島本線の歴史(鹿児島−米ノ津間) |
はじめに 新幹線鹿児島ルートの工事もすすんでいますが、開通すると鹿児島本線川内−出水間は第3セクターとなり 長い鹿児島本線の歴史に新たな一頁を加えることになりそうです。 鹿児島本線は小さい頃から大好きで友人達と何往復もしました。国鉄時代は蒸気機関車が走っており 線路脇でよく機関車をおっかけたことを記憶しています。 学生時代は4年間毎朝朝1番の鈍行列車に乗り通いました。列車の中は鹿児島の言葉が飛び交い ほのぼのとした雰囲気が大好きでした。 これからも大好きな鹿児島本線を記憶を残しておきたいので 鹿児島本線の歴史を調べてみました。 |
明治34(1901).6.10官設鉄道により鹿児島−国分の間が開通 明治42(1909).11.21八代−鹿児島間海側新線の工事に取りかかる 大正3(1914).6.1鹿児島−川内町(現:川内)間が川内線として開通 大正11(1922).7.1西方−川内町間が開通 大正11(1922).10.15阿久根−西方間が開通 大正12(1923).3.25野田郷−阿久根間が開通 大正12(1923).10.5米ノ津−野田郷間が開通 大正15(1926).7.21水俣−米ノ津間が開通 昭和2(1927).10.17湯浦−水俣間が開通して鹿児島本線が現在の形になる 昭和47(1972)東市来−鹿児島間の複線化完成 昭和62(1987).4.1国鉄が民営化されJR九州となる |
鹿児島本線駅名エピソード 取材をしていて鹿児島本線にまつわるお話を 聞かせてもらいましたので紹介しておきたいと思います。 現在川内駅(せんだいえき)は開業当時は川内町駅(せんだいまちえき)といわれていました 宮城県の仙台市があったのでそうなったそうですが、昭和15年に川内町が川内市になることになりました。 ところが、駅名は川内町駅...せっかく市になったのに名前は町... 地元は当時の国鉄に名前を変えるよう陳情しました。 でも「せんだい」はすでにあるので...できないむねの回答がありましたが、地元の強い声が 通り川内駅と昭和15年10月1日から改正されたそうです。 川内をせんだいて読むのはやっぱり難しいですよね |
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